index < 日誌 < h感じ方< 「感覚」/p7 |
つまり、理性というのを全く無視している。自分と、自分の周りの場の雰囲気だけでものごとが決められ、それが、自分と周りの者すべてにとっての正義となっている。 そして、それを決定づけているのは、やはり、「情緒」である、としか言いようがないのである。 それは、意識とか思考とは別のもので、それ以前の感覚的なものである。意識とか思考を無視して、感覚的な雰囲気だけで、ものごとが決められ、判断され、そしてまた、情緒的な快感にひたっている。そうやって、精神の安定と調和を保ち続けるのである。 そしてまた、そうした状態が、自分たちの精神の最適化された理想の状態となっている。まるで、学校の義務教育そのものである。個人というのが忘れられ、見失われ、その痕跡さえも消えてしまっていて、抹殺されている。まったく、気づかないうちに、実に手際よく、完璧に消し去れれている。 自分自身の自己というのが消失しているので、自己の精神の苦痛や悩みからも完全に解放されている。従って、容易に自分を捨てる。簡単に死ぬことだって出来る。他人を殺すことだって平気でやれる。そしてそれが正義であり幸福であると思えてくるのである。完璧に自分を見失っていて、それこそが絶対的な正義であると思い込んでいる。従ってまた、だからこそ、幸福なのである。 |