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4 春の風景。



うつりゆき、うつろい、そして通り過ぎてゆく。
冬から春へと移り行く景色は、光が明るくなって、色も鮮やかになる。そして、色とカタチが生きいきしてくる。「水」がそうなのかも知れない。目に見えるカスミ(霞み)とか、草花の表面のうるおいとか、しずくがそうなのかも知れない。

冬の景色はもっとカサカサしていて、うるおいというのが、景色の表面にも空気にもなく、景色全体がくすんで見える。景色と目のあいだに灰色が入り込んできていて、だから、少し暗く、そしてくすんで見える。つまり、光の明るさ自体が乏しいのである。そして湿気が乏しく風景全体がカサカサと粗く乾いて見える。

春は反対で、むしろ、白色があいだに入って来ていて、そのせいか、色というのが純粋になって鮮やかさが際立ってくる。そして輪郭というのが、少し消えているようにも見える。明るく、そして鮮やかになった分だけ、輪郭の境界線が弱くなったのだろうか?
イヤ、そうではない。そうではなくて、周りを取り囲む空気に、水分が多く、これが霞みとなって、光を乱反射させていて、景色の中の輪郭線というのをぼかしているのである。物体の後ろから、空気中の水蒸気を伝って光りが回り込んできているのである。だからちょうど、白いカスミの中から物体が浮かび上がってくるような感じになる。

これはまた、人間の顔の表情といったものを一段と際立たせる。人と背景との間の境界線が消えていって、外面と内面の区別が無くなって、人間の心の中が直接映し出されたような印象を受ける。周りの第三者と背景が消えて、それを見る者と見られる者との当事者だけの世界を作り上げる。少なくとも、そうした舞台のようなものを現出させている。

ただし、真夏のような、強烈なまぶしいほどの明るさではなく、優しく穏やかな明るさである。また、熱い明るさではなくて、暖かい、ゆるやかに溶けて開いてゆくような、暖かさである。空気中の水蒸気と光の強さが、生物の誕生に最も都合の良い状態を作り出している。事実、冬には見られなかった様々な「色」というのが世界を覆い始める。野や山や川辺などが草花や新緑に覆われ始める。色とは、生命のしるしなのである。そして水と光は、それを映し出す背景となっている。

戻る。           続く。

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