index < 日誌 < 2018 < 12-「歴史」


 
2、必然。



このような場面は、例えば、日の出(朝焼け)と、日の入り(夕焼け)にも言える。およそ、よく似ているのであるが、それ以上に、まったく正反対なのである。

現実が方向性を持つということは、前後の時間の流れと、その時のシステムによって世界が支配されている、ということである。そうだとすれば、こうした世界に現れる様々な出来事、あるいは、個体とか個性といったものは、現実が持つ方向性によって取捨選択されざるを得ない。

「種」ないし個体といったものが死ぬか生きるかといったことは、その本人も預かり知らぬ偶然だけが支配しているということである。本人とは関係のない客観的な現実の方向性といったものがそれを決定しているということである。

本人が死ぬか生きるかというのは、実は、その時のシステムの都合によって決定されるのであって、本人が決める事のできるものではないのである。だれでもよい、だれかがそのクジを引かされ、当たり(死に)、またはハズレ(生きる)のである。

こうした意味でそれは必然なのである。いったい、「だれが」というのは偶然であるが、「だれでもよい」というのは必然なのである。だれでもよいから、その荷物を持たされる。荷物を持たなければ、歴史が前に進まないのである。この、だれでもよいから「持たされる」というのが、必然なのである。


 戻る。              続く。



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