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だから、感覚自体にとって大事なのは、意識とか思考の混じることのない感覚、純粋な感覚、感覚の感覚に対する感覚である。感覚が、感覚自身について、どう感じているかということである。そうだとすれば、それは相手のいない、自分のなかの感覚である。閉じた世界の中の出来事である。だからそれが、自分の外で起こっていることなのか、それとも、自分の内部で引き起こされたものなのか、というのは、知ることができないし、また知る必要もないし、どうでもよいことなのである。 それが自分の外、つまり、現実の世界で何かを感じているのか、それとも、自分の内部にあって、気の迷いとか病気、障害などによって引き起こされて何かが感じられてくるのか、などといったことは、どちらでも、どうでもよいことなのである。それは感覚自体にとっては、識別も区別もできないことであって、またそれ以前に、何の関係もないことなのである。 |
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