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痛い、かゆい、気持ちよい、あるいは、まるで夢のなかで見るようなそんな、触れる肌のここちよい感触とか。そのほかにも、理由もないのに楽しくなったり、イラついたり。それとか、自分でも何がなんだかわからないまま、感覚が自分勝手にひとりでに巡りめぐって、目を開けたまま、夢の続きを見ている。 めざめたままで、なにかの幻覚を見ている。はたしてそれは、観念の世界なのか、それとも現実の出来事なのか?などといったことは、感覚にとって見ればどちらでもよく、どうでもよい、なんらさしつかえない、もともと関係のないことなのである。しかし、たとえ幻覚や錯視だとしても、それが見えているというのが現実なのである。 なぜなら、それは自分だけの世界なのだから。目を開いたままで、自分の夢の世界を見ているのである。それは意識されることのない感覚だけの世界、感覚という無意識の世界のなかで、感覚が一人で何かを感じているのである。感覚が意識されないまま自分で自分自身を見ているのである。自分でも気づかないままで。 しかし、それでもやはり何かを感じている。まるで幻を見るように。いつのまにか、知らぬ間に自分自身を見ている。それはやはり、自分自身であるとしか言いようがないのである。感覚が感覚を見ているのである。感覚が感覚自体で、感覚に対して何かを感じているのである。しかし実はそうしたことは、あらゆるところで見られる、あまりにも日常的な情景なのである。 |
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