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8、生きている。



「音」が生きているというのは、人間の感じ方や暮らしの中から音が生まれてきて、
そしてまた、人間にとって聞こえてくるということなのである。それ以外の音はもともと聞こえない。人間の耳に聞こえる周波数帯は限られているし、また、聞こえる音であっても、どうでもよいような日常の音は無視している。聞こえているはずなのであるが、小さくなって、感じにくくなっている。生きてゆく上で必要な音だけを、無意識の世界で選別して聞いているのである。

それに、「音」はなにかのキッカケとか理由、たとえば、目に見えるものとか、肌に触れる空気の感触とか、そういう他の感覚と常にいっしょになって聞こえてくる。また、時間の流れの中の、物語の一コマとしても聞こえてくる。たとえば、早朝の小鳥のさえずりとか、夜中の笛の音色とか、他の感覚とか物語、そしてまた、揺れ動く心のあり方としても、聞こえてくるものなのである。これが、現実の音なのである。

それとまったく同じことが、視覚や味覚、触覚や嗅覚にも言えるのであって、あるいはまた、もしかすると、それ以外の未知の感覚もあるかも知れないし、そうしたことのすべてが常にいっしょになって、アンサンブルとなって直感やセンスとして人間に感じられてくるのである。

そうした、人間の感情や情緒として見えてくるし、聞こえてもくるし感じられてくるのである。こうしたことが、まさに現実の「音」なのであり、見るもの、触れるものであり、
人間が現実に生きて暮らしていることの、たしかな証明なのである。

戻る。           続く。

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