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まぶしくて何も見えないというは、他の言い方をすれば、見てはならないもの、見えないもの、あるのに見ていないもの、あるいは、目にとって都合が悪いので、意図的に見ようとしない、あるいはまた、もともと見えないように出来ているとうことである。それとか、見たくないものもある。 そしてそれはまた、越えてはならない限界、境界とでもいったものでもある。それはまた同時に反対側から言うと、見なければならないもの、見えていなければならないもの、見ようとしなければならないものでもある。 それは境界・制約・条件とでもいったもので、人間の目というのが、はじめから元々そのように仕組まれ、設定され、プログラムされている、目の「機能」といったものである。 しかし、それを超えるというのは、目という感覚の領域を超えた、外の、別の感じ方である。越えてはならない一線を超えるのである。それはつまり、目という感覚の感じ方の範囲であり、深さであり、そしてまた制約と限界を示している。 それが限界とするところは、つまり、視覚の限界線とか境界線といったもの、区切り線とかいったものである。つまりそれが、視覚という感じ方の領域とカタチを示しているのである。そしてこの境界線上に位置するのが、マブしくて何も見えなくなる状態なのである。 だからこのとき見ているのは、視覚であって視覚でないもの。視覚が、視覚を見ているのである。視覚が、視覚自身のシステムとその限界の世界を見ているのである。そして、その実体は何かと言えば、それは視覚自身の記憶であるとしか言いようがないのである。 |