index < 日誌 < iシロ色< 「まぶしい」p6/ |
それは、祖先から受け継がれた戒(いましめ)とタブー(禁忌)なのである。祖先が伝えようとして残していった記憶が、肉体の機能や生理作用として保存され、継続されて来たものなのである。まぶしいというのは、こうした肉体の機能の、視覚器官の限界を意味している。 限界とは区切り線であり、それが他のものと区別される境界線であり、自己の原理と、その一体性、そしてその範囲や深さを定めた、明確な「型」であり、領域であり、カタチである。だからそれは、自分がこの世に生まれる前から、元々の始めから設定されているものなのである。決まり事、イマシメ、オキテといったものなのである。宿命とか運命などとも言われている。自分では、どうにもならないものなのである。また、どうにかなっても、ならないことなのである。 だからそれは、見てはならないし、見えても、気づいてもならないことなのである。知る必要のない、知ってはならないし、気づいてもならないことなのである。だから、たとえそれが目の前にあったとしても、それに気づくことはないし、たとえそれが、目の中に入ってきたとしても、それが見えてくることがないのである。本能的にそれを避けているし、無意識のうちにそれを見ないように務めている。そうやって感覚というのが方向づけられ、制約されてゆくのである。 |