index < 日誌 < 2018 < 13「わがまま」 |
感情や感覚、そしてその感じ方というのは、自分があとからとってつけたものでもある。自分が生きていくなかで、積み重ねられ、たまって、集まってできたものである。習慣やしきたり、道徳や礼儀作法といったものがそうである。それは、そうあるべきもの、そうでなければならないもの、そうであるはずのもの、そうしなければならないもの、とされているものである。 そうした経験のつみかさねが、いつのまにか知らず知らずのうちに、自分の信念となり、考え方や感情となり、感覚の「感じ方」となっているのである。そうやって情緒といったものが生成されてゆく。 それは、押し付けでであり、強制であり、義務である。シキタリとか常識とも言われている。そうしたことが、自分の外からやってきて、自分を支配し、自分を強制しているのである。そしてまた、自分自身を偽(いつわ)り続けているのである。そうやって、自分自身をだまして正当化し、社会の中での自分の居場所といったものを確保するのである。そしてまた、社会もそれに答えて居場所を保障してくれるのである。 |