index < 日誌 < 2018 < 13「わがまま」 |
だからまた、白でも黒く見えてくるし、知らないことでも知ってると言い出すし、人間としてやってはならないことでも、しなくてはならない、そうすべきである、そうあるべきで、どんなことでもやってもよいし、そして、それが許されると思えてくる。それどころか、それが正義のように思えてくる。それは弱い人間にとっての処世術で自分の身を守る唯一の方法にもなっている。 平気でウソをつくようになるし、ウソをつくことが正しいことのように、思えてくる。小さなウソはだれでもやってることで役に立たない。白々しく、わざとらしくてすぐにバレる。みんながそうなのだから。だから、ウソは大きければ大きいほど、それが正しい真実のように思えてくるのである。 そうした、なりすましと迎合、迷信と偽善の世界を私たちは生きている。世界は、「わがまま」であり、私たちは、そうした「わがまま」な世界を生きている。 |