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ところが、目の中の「まだら模様」というのは、理屈以前の意識しようのない、ばくぜんとしていて、ぼんやりした自意識を見ているのである。混沌としていて、とらえどころのない、何にでもなるし、同時に何ににもなれない、意識されることのない、意識することもできない、本来は見えるはずのない、自分自身の無意識の世界を見ているのである。論理とか思考以前の世界なのである。 だからまた、それが何かのハッキリした姿やカタチとなって、現れることがないのである。カタチの無いものを、カタチとして表現しようがないのである。それ以前の世界なのである。にもかかわらず、記憶のなかで、何らかのカタチとして残さなければならないのである。そうでないと、記憶にならないからである。カタチになって初めて自分の中で残り、そしてそれを思いだすことが出来るのである。 しかしまた、それは、限定され区別された、境界のある力学的な図形にもなれないのである。それは、とらえどころのない自分自身の、精神の無限の広がりと深みを意味しているのである。理屈でも意識でもなく、それ以前の意識の届かない世界を表現しているのである。 |
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