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6、情景。



それは意識されることのない自己の精神の基底にあって、それが拠って成り立つところの精神の源泉となっている場所なのである。そしてまさに、そこからイメージのカタチが、何らかのすがたとなって現れてくる。それは、自意識がイメージとなって、自分の中に現れたものなのである。意識が、何らかのイメージとして、自己を映し出しているのである。

こうした夢の中で、イメージは、
二通りの、まったく正反対のところから見えてくる。

一つは、無意識のまだら模様から、それが線となり、つながって何かの輪郭となり、すがたになる。そうやって、それが何かというのがわかってくる。そして、それがなぜ見えているのか、そうした自分にとっての意味といったものは、あとからわかってくる。動機とか理由といったものは、最後にわかってくる。または、わからない場合もある。

その出来事や背景といったものは、後の方でわかってくる。明確な印象や目印などといったものがなくて、全体として、雰囲気として、理由も動機もない気分や心情として情景が見えてくるのである。これは意識以前の情緒の世界なのである。

もう一つのキッカケは、先に「理由」が見えてくる場合である。明確な印象や目印しといったものがいきなり迫ってくる。恐れ、あこがれ、苦痛、快感、悲しみや喜びなど、動機は様々である。そうした心理状態といったものが、現実の出来事とは関係のない、直接の衝動、ないし情感として、夢の中でいきなりイメージとして現れてくるのである。

情緒というよりも感情であり衝動に近いものである。だから、この場合は何か目立つ印象や目印みたいなものが真っ先に見えてくる。動物のキバとか、谷底とか、人間の姿であれば哀れで悲しげな顔の表情である。全体の情景は最後まで見えない場合もある。夢の中では必要な情景だけが見えてくるのである。この場合に必要なことは、自分を激情へといざなう明確な目印しだけなのである。

戻る。            続く。

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