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2、導き。



そして、そのもとで生きて来た祖先のタマシイが、その感覚や感じ方といったものが、それに目ざめて共鳴し、揺れてきしんで、裂けて、コダマしているのである。にじんで来て、溢れ出て来ているのである。

それは、人間が何かを求めてそうなったのではなく、あるいは、自然が直接に人間を動かしたというのではなくて、それらとは別のところにある、人間の「感じ方」といったものがそうなのである。もともとそうなのである。これが「情緒」なのである。

郷土の自然環境といったものが、それを人間に求め、そして、導いて来たのである。そして人間もそれに答え、自然環境そのものを変え、人間自身をも変態し、そしてその過程で人間自身の生き方や感じ方といったものを獲得してきたのである。

そうした「感じ方」そのもの。意識とも、自然環境とも異なる「感じ方」そのもの。強いて言えば「情緒」である。そして、それをつつむ空気の質であり、変化のリズムであり、四季の移ろいなどといったものである。それらが人間の根源にあって、人間を条件づけ、方向づけ、導いて来たのではないだろうか。

戻る。             続く。

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