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10、均質性。



そしてまた、コトバなど話さなくても、おたがいが何を考えているのか、それ以前にすぐにわかってしまうのである。歴史的・文化的均質性といったものである。その場面ごとの事情とかワケといったものが、だれもがたいてい同じで、すぐにわかってしまうのである。だからまた、感情がをあらわにしない。その必要がないのである。

また空間的にも常に狭く誰も表面上つつましく大人しいのである。騒がないというのが、こうした狭い場所でのマナーとなっている。
(もちろん大阪人は感情的ではるが、それはたいてい見せかけで、心の中では他の事を考えていて、ほとんどの場合がズル賢いだけである。表面的な感情といったものを、かけひきの道具に使っている)

感情をあまり外に出さないのである。感情を自分の中にしまい込み、耐え忍ぶ。イヤなことがあっても、じっとガマンしてまわりに合わせる。協調し、それどころか何ごともなかったように、ほほえんで答える。まわりに心配をかけまいとしているのである。こうしたことは、日本以外の世界のどの国にも見られない情緒である。

しかし、それでは持たないのである。心が壊れる。だから、まわりにいる者が察してやらねばならないのである。気づかなけれならないのである。お互いにみんなが、思いやり気づかうのである。そうやって集団がまとまり、そして社会として成り立っているのである。こうしたことが、日本的情緒の際立つ特徴なのである。

戻る。             続く。

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