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12、プレッシャー。



同じ儒教社会でも、日本には、他のアジア諸国には見られない、際立つ特徴がある。

感情のプレッシャー。心の痛さ、つらさ、苦しさというものを、自分の心のなかにしまい込んで、外に出さない傾向である。こうした心の仕組みや動きといったものは、中国や韓国人には無いものである。そもそも韓国人は、そうしたプレッシャーというのを、いっさい受け入れない。それを心の中に留め置くことはしない。その気性から言っても、出来っこ無い。韓国(朝鮮)人は、自分に加えられたプレッシャーに対しては、ありのまま、あからさまに、なに恥じることなく、そのまま外に出す。コトバと行動(暴力?)で。凶暴ですらある。

気が短く、感情的。それも直情的で、暴力的である。男も女もそうである。女が泣くときはメソメソしない(見たことがない)。泣きながらも、わめき、ののしり、叫び続ける。そしてたいてい手がでる。自分で生きようとする。助けを求めない。それは日本の女には、けっして見られない性向である。朝鮮人に比べると日本人は、感情的というよりも、むしろシビアで、感情を抑えて割り切っている。冷静でシビアである。

不幸や困難に際してのプレッシャーの場合には、感情を務めて外に出さず、むしろ、うっすらほほえんで、心配をかけまいと周囲に気をつかう。不幸というのを、自分の心のなかだけで終い込もうとする。しまい込むことが出来る国民である。

だからまた、まわりの者がそれに気づかい察して、知られないよう、それとなく見守って助け合う。そうせざるを得ず、そうしなければならないのである。そうしないと人間が壊れてしまうのである。そうやって社会が成り立ち、ずっと続いて行くことが出来るのである。日本人のいう「思いやり」とは、このことなのである。

戻る。             続く。

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