index < 日誌 < ai原理< 「情緒の傾向」p13/ |
感情と情緒、あるいは感覚だけで生きるというのは、つまり、何も考えないということであり、思考を停止するということである。そしてまた同時に何も変わることがない。生きていること、人生とその喜びや悲しみ、そして様々な出来事や思い出といったもの、それらすべてがどうでもよいということであって、いま生きているこの瞬間、この場面だけがよければそれでよい、ということである、それだけがすべてなのである。 だから、なにかを経験しなにかを感じたとしても、結局は何も変わらないし、それらすべては結局、どうでもよいことなのであって、そうならざるを得ず、なにがどう変わろうとも、結局は、本質的にはなにも変わらず、何も変わりようがないのである。また変わってもならないのである。 姿カタチは多少変わるかも知れないが、結局は同じことの繰り返しですべてが始まり、そして終わる。そうした同じことの繰り返しが永遠に続く。そこには何の変化もなく、変化の動機も、きっかけも、理由もあり得ない世界である。これが感情だけが支配する世界である。進歩とか反省とか、あるいはまた、時間と歴史の概念そのものが非常に希薄な世界なのである。 |
index < 日誌 < ai原理< 「情緒の傾向」p13/