index < 日誌 < d無意識<「続、ぼやける」p16/ |
だから、「ぼやける」というのは、目という感覚の感じ方なのではあるが、それは同時に、意識されることのない観念の感じ方でもあるのである。思考とか考え方が繰り返されて、それがパターン化されて、「型」になって、無意識の習慣、ならわし、常識となったのである。そしてそれが、いつのまにか、それ特有の無意識の型とパターンを作り出しているのである。 だからそれは、あらかじめ仕組まれ、設定され、プログラムされ、そして導かれ、方向づけられきたものと言える。つまり、それこそがまさしく、世の中の仕組み・システムであり、原理であるともいえるのである。 そしてそうしたことは、「ぼやける」という視覚に限らず、聴覚や触覚、その他すべての感覚についても言えることで、感覚というのは、そうした必要から形成されてきたものであり、そうした感覚の統合された結果として第六感や直感、本能や衝動といったものが生成されて来たのではないだろうか。 |
index < 日誌 < d無意識<「続、ぼやける」p16/