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6、観念的映像。



だから、「ぼやける」というのは、目という感覚の感じ方なのではあるが、それは同時に、意識されることのない観念の感じ方でもあるのである。思考とか考え方が繰り返されて、それがパターン化されて、「型」になって、無意識の習慣、ならわし、常識となったのである。そしてそれが、いつのまにか、それ特有の無意識の型とパターンを作り出しているのである。

だからそれは、あらかじめ仕組まれ、設定され、プログラムされ、そして導かれ、方向づけられきたものと言える。つまり、それこそがまさしく、世の中の仕組み・システムであり、原理であるともいえるのである。

そしてそうしたことは、「ぼやける」という視覚に限らず、聴覚や触覚、その他すべての感覚についても言えることで、感覚というのは、そうした必要から形成されてきたものであり、そうした感覚の統合された結果として第六感や直感、本能や衝動といったものが生成されて来たのではないだろうか。


戻る。             続く。

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