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8、選択。



もちろん人間だから、本人自身の主体性や自己意識に基づくものもたくさんある。もしもそれがなければ人間と言えない。自分の考えや、自分の欲求や衝動といったものである。しかしまた、だからボヤケているのである。見るのでも、見ないのでもなくて、その中間の自分の意思、本人の選択にまかされているのである。そうした意味でのボヤケるという状態なのである。

ボヤケた状態から、それをはっきり見えるようにするか、それとも、ボヤケたままにするかということは、本人が決めることなのである。しかし、たいていの場合、まわりとかエライ人(権威)にうながされ、そそのかされて、自分の意思を考えないまま、他人に従っているのであるが・・・。

だからある意味で、ボヤケるとは、自己意識を見ているとも言えるのであって、ぼんやりした曖昧な状態から、「出て行こう」としているのか、「そのまま」でいようとしているのか、それとも、そこにとどまって、ぼんやりした自分の内面をはっきり確めようとしているのか、それらすべてが、自分の意思にかかっている、ということなのである。


戻る。             続く。

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