index < 日誌 < o四季 < 「ふやける5月」p13


 
9、たましい。



僕の精神のなかに住んでいるタマシイが、きしんで、揺れて、こすれて、そして傷口からしずくが溢れ出ている。それが僕に反射してコダマして、なにかを映し出そうとしている。心の奥の裂け目から、なにか得体の知れない生き物がこちらをのぞいている。現れては消え、移ろいながら漂い続けている。すがたカタチを様々に変化させながら、とらえどころのない幻のようにさ迷い続けている。

それは、見たとか、聞いたとか、触れたとか、そうした感覚ではなくて、もっと直接的な内面の感覚なのである。感性と言ってもよい。それは、自分のタマシイの中へ直接に入ってくるのである。まるで、他人が自分の心のなかに入ってくるように。

あるいは、それはもともと自分のなかにあったものなのかも知れない。そして、それが何なのか自分でもわからずに苦しむのである。どちらが本当の自分なのか、わからなくなるのである。タマシイがこすれて、きしんで、コダマしている。精神が自分の中で、なにかを映し出そうとしている。何かを生み出し、そしてそれを形(カタチ)にしようとしている。


戻る。               続く。

index < 日誌 < o四季 <「ふやける5月」p13