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それどころか、この「精神のカタチ」といったものは、個人としても個性を持っている。それは、それらすべてを包み成り立たせているところの条件といったもの、すなわち、その外的な自然環境にも、そしてまた、精神の内的な歴史的連続性にも明瞭に現れている。 共同体の共有意識、民族意識などといったものも、たしかに明瞭な、他のそれとはハッキリ区別される精神の輪郭と領域を示している。たしかに、その様式とか、合理性とか、規則性といったものが、ハッキリと他の精神と異なるものを持っているのである。それは、固有の自律性、個性といったものである。あるいは精神の「型」とでもいったものである。 他者によって支配され、その力によってのみ自分を表現することが出来る、そうした、自己の内部に内的必然性を持たないもの、それは他と区別される自律したのものとは言えないのである。同じものが、別々に存在しているのに過ぎないのである。もしくは、精神を持たない無機物の世界である。 だから精神の世界では、それらが区別されることはない。精神の中で何かを感じるということが出来ないのである。「感じる」という境界線が存在しないのである。自己と他者との区別が存在しないのである。そうして自分が誰かわからなくなる、人格を喪失するというのは、このことでなのある。 自分自身というものの一体性と同一性というのが、どこかで破壊されている状態である。従って、自分自身という精神の領域と境界が必要なのである。そしてそれに基づいた自分自身の精神のカタチといったものが、どうしても必要なのである。 |