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たしかに、しろ色というのはとっても変わっている。これは何かの色というよりも、むしろ、色を抜きにした明るさそのもの、純粋の光そのもの、明るさ、まぶしさだけの世界のようにも思えてくる。何色というよりも、それ以前に、光の明るさそのものを直感してしまうのである。 事実、このしろ色というのは、光のまぶしさにつながる。まばゆい明るさの中で、すべての色が混じり合い、消えて溶けて行って、何もかもがシロ色に同化されるのである。まばゆい明るさだけの、しろ色の世界なのである。しろ色というのは、すべての色が混じり合って、それらが一つになって色を失った世界である。 あるいは、そうしたわけのわからない衝動といったものが、まぶしさとなって現れてきて、それをシロ色で隠(かく)している。だから、まぶしさはシロ色を通して、しろ色の中から映し出されて現れるのである。 |
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