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自分が何かを感じていること自体に実体などない。それは意識の感じ方なのであって、例えば、見る・聞く・触れるといったことは、自分本人の意識にとっては、神経の電気信号や、論理記号の連続した羅列に過ぎないのである。 だから実際に現実にある物と、それを見ている感覚とは、本来まったく別のものなのである。別の次元、別の世界なのである。 それは実際にあるものと、その見え方や感じ方との違いなのである。なにかを「見ている」というのは、自分にとっての、その「見え方」を見ているのである。自分の感覚や、自分の存在の仕方を見ているのである。だから、無いものが見えて来たり、見えるはずのものが見えなかったりするのである。 |
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