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しかし実際に、ものが現実にあるから見えてくるというのも事実であって、そしてこの見えるものというのが、光の明暗や、色合いの違いとして見えてくるのである。これが人間にとっての、見えるものの姿とカタチなのである。人間の感覚にとっては、「もの」というのが、そのようなものとして感じられ、意識されるのである。 だがそれは、単独でやって来るのではない。ニオイや、肌に触れる気配や、空気の微妙な変化や、そして光とともにやって来る。こうした現実の、自分の身体全体からだけでなく、自分自身の記憶に照らし合わせても見ている。つまり、非現実的な観念の世界からも見ているのである。 言い換えると、二つの規準、または二つの側面から現実を見ている。一つは、現実をありのままに見ている自分であり、もう一つは、この現実を自分の無意識の経験と記憶に基づいて見ている自分である。人間は、現実の世界を生きていると同時に、観念の世界を生きているのである。 |
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