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ただし、目でそれとハッキリ意識することはなく、また、意識させられるほどの急激な変化でもなく、それはむしろ、気分的な明るさ陽気さとして気分や情緒のなかに現れている。たのしさとか、うれしさとしてそうなのである。 それは肌に触れる空気のおだやかさや潤い、暖かい陽ざしといったもの。そうしたことのすべてが、より強く人間に印象させるものとして迫ってくる。人間は自分の身体の全体で、五感のすべてでそれを意識することなく、経験し感じてもいるし、無意識のうちに自分の身体で記録しているのである。 身体で保存し、記憶して、無意識に自己の情緒の中に堆積してゆくのである。それが生理作用や神経統合のパターンとして最適化され、標準化されてゆく。それらはすべてが、人間自身が意識せずに、無意識のうちに、肉体が自然に、肉体独自にやっていることである。そうした積み重ねが、やがて習慣や常識、そしてシキタリやオキテとなる。 |
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