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人間には、その生き方・感じ方とは別に、自分でも意識することのない傾向や指向性といったものがあって、それが外の自然環境と、人間の内面世界のちょうど境界線上の、それらの中間地帯にあって、人間の生き方・感じ方というのを支配し続けている。これは、自分でも意識することのない情緒や、肉体自身が持つ感じ方、持って生まれ出てきた先天的な条件といったものである。 それはもはや意識とか思考の届かない、それとは離れたところにある、感覚だけの世界なのである。それはむしろ、自分の肉体がその構造や機能というカタチで保存し続けてきた生物的な記憶、いわば、肉体の記憶、本能とでもいったものである。 だからまた、そうした意識されることのない、正体不明の何かが、現実とはまったく関係のないところで、何の脈絡も無しに、いきなり現れては消えて行くのである。それは自分でも訳がわからず、コントロールも出来ない、自分でもどうにもならない衝動なのである。 まるで何かのマボロシやカゲロウのように。ふっと、その中から何が見えてくるのである。空間が歪み、ちぎれて、きしんだ地肌のところから、現実のの引き裂かれた、無限の裂け目から、一瞬、何かが見えたと思えてくるのである。あるいは、たゆとう空気の歪みや、遠のく意識のカスミのなかで、それが何かの軋(きし)みや、叫び、祈りとして聞こえてくるのである。 |
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