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5、偏見。



自分が生きている今の現実から、見知らぬ異界の世界へ、いきなり放りだされる思いである。もちろん、それがどこで何なのか、まったくわからないし、知りようもない。ただハッキリと断言出来るのは、そこに見えているのは、現実の外の世界ではあるが、実はけっしてそうではなく、それは自分自身の見知らぬ、得体の知れない心の中のどこかである、ということである。自分自身の、心の内面の世界だということである。

確かにそのように見えるし、聞こえるし、感じることもできるが、しかしそれは、何でもかんでもそのように受け止めたがる、自分自身の偏見がそのように感じさせているのである。

しかし、またそうした「偏見」自体も、自分自身の中に何かしらの理由があるはずなのである。偏見にも、偏見の根拠と理由があるはずで、たとえそれが間違ったものだとしても、それを生み出したのは自分自身であり、自分自身の中にそうした何らかの必要があったからである。

たしかにこうしたことは無数にある。夜中に聞こえる風の音や、笛の音が、だれかの呻き声に聞こえたり、井戸の底に見える自分の顔が、異次元に住む、もう一人の自分自身に思えて来たり。

あるいは薄暗がりの中に見える物陰が、人の苦しみ迷う姿に見えたり。もしも、そう見えたなら、さっさと逃げるしかない。際限なく引き込まれてゆくから・・・。もちろん、それは偶然に、そう見えただけなのであるが、しかしまた、そのように見えたというのは、自分の中にそれを求める何かがあったからでもある。

それが恐ろしいのである。自分の中に住むもう一人の自分に、自分が呑み込まれ乗っ取られそうになるのである。自分が自分でなくなるように思えてくるのである。


戻る。             続く。

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