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それは当然であって、そしてまた、必要なことでもあって、そうしてのみ、自己が継続し得たのである。自己を保存し、そしてそれを子孫に伝え続けることができたのである。時代を越えて自己の現実を維持し続けることが出来たのである。あるいは、言い方を変えれば、日本人というのが、そのようにしか成り得なかったのである。 そうする以外になく、そうしてのみ、自己を保存し得たのである。そうでなかったなら、日本人というのが、なにかそれとは別の民族に同化していたか、あるいは、民族としては消滅するかの、どちらかしかなかったのである。自律的な主体として自らを維持し続けることが出来なかったであろうということである。 だからこの場合、変化と移行といったものは相対的なのであって、絶対的な変化とは言えないのである。「種」としての根源に係わるところとは何ら変化することがないのである。また、変化のしようがないのである。俗に言う、「民族の魂」といったものが、それである。 |
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