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何でもよかったのである。大事なことは、それが何かのカタチとして現れて出てくる必要があったのである。自分の記憶のなかで、ずっと後まで残り続け、保存もされ、記録できるものであれば、何でもよかったのである。しかし、だとすると、イメージしかないのである。 それは、すがたカタチが不明なままで、自分にとっても未知のものである以上、現実にあるものを借りて、それに託して、示唆し暗示するしかなかったのである。そうである以上、言葉では表現できない。また臭いや触覚ではカタチとしての記憶に残りづらいのである。 そうだとすると、それは、ワケの分からない意味不明の、何らかの象徴として現れるしかないのである。まるで憑りつき、乗り移るようにして、自分の中に入って来ようとするのである。そうする以外に、未知のものを表現する手段がないのである。そうして、現実にあるものを通して、そこから印象し象徴するものとしての、暗示として表現されたのである。 |
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