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「現在の意識」とは、いま、現実に生きて活動している意識のことである。そして、その対象との直接的関係、何も仲介せず媒介もしない、そうした自分自身と外界との直接的関係であって、自分で自分を見ている。 自分のなかで自分が分裂していて、そうして対象化している。このようにして、歴史的にも空間的にも限定され特定される自意識といったものが明確に示され、その原理と境界、具体的なすがたといったものが、明確にとらえられたのである。 自分は自分自身というもの、自分の精神、自我というのをとらえたのである。そして、「現在の意識」とは、他の者ではなく、他の者の入る余地のない、今を生きているのである。そしてそれは、自分自身の純粋な自意識を示している。 自分のなかにある、自分でもどうにもならない、抵抗不可能な必然性や原理といったものを、外の自然に対しても感じ、発見したのである。表面の、見えるままの外面ではなくて、それを動かし、秩序づけ、法則づけている、内面の理性といったものを自然の中に見ているのである。 自己の経験と記憶は、そうやって現実の出来事を観念化し、現実とは別のものとして意識の中で共通化・抽象化し、自己の精神の中に蓄積してゆく。そしてその、もっとも抽象化された部分が、観念のなかで秩序づけられ、体系化され、順序づけられ、理由付けられたのが「理性」である。 そうやって、一般的で普遍的な原理として、そして必然性として保存されるのである。そしてまた、これが理性なのであって、人間は自然の中に、その隠れた見えざる内面の世界に、自分自身の理性の世界を見ているのである。規則や秩序といったものを、自分の外の世界に対しても見ている。そして同時に、それが分かるというのは、自分自身に対しても、それを見ているのである。 |