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6、認識。



「形式」というのは、だれにとっても解りやすく、見やすく、納得しやすいのである。型にはまって見えるのである。、だからまた、利用されやすいし、形式を見る者をして、その気にさせやすいのである。

自分で「納得した」と思い込んでしまうのである。あるいは、思い込ませることができるのである。実際のところは何もわかっていないのに、「わかった」と思えて来るのである。あるいは、そのように思わせることができるのである。そうした外面だけの中身はどうでもよい、カラッポの世界である。

現実のことを何も知らなくても、頭の中だけで理解できた、知っていると思わせてくれるのである。だからこれは、形式や型のパターンとともに、その形式の分析と関係してくる。つまり、形式的思考は、その次に分析的思考と結び付いて来る。あるいは、分析的思考によって証明されなければならない。そうやって、形式に対する自分の認識というものが、正しいかどうかというのが証明されたと思えてくる。

なにを言いたいのかというと、人が生きている理由とか意味、居場所といったものは、観念の世界で作り上げられたものだということである。


戻る。              続く。

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