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現実が、もはやどうにもならないのならば、だれだって、欲望に向かうし、それでも、なにか見込みとか救いがあるのならば、美しい方へと向いてもいく。つまり、どこかで本質的に迎合していて、自分の意思というのが、自分とは別のところで狭(せば)められ、その残された道を歩んでいくのである。 それは本人にとって見れば、「偶然」の成り行きなのであるが、外から客観的に見ると、どうにも逆らうことの出来ない、「必然」としか言いようのない世界なのである。文明あるいは社会という、制約され条件づけられたシステムという、仕組まれた世界を人間は生きているのである。 自分というのが、自分でも知らない自分以外のものによって支配されていて、それに従い続けている。そして、そこから出ていくということが決してないのである。そこから出て生きて行けなく出来ているのである。 |