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5、変化。



そうしたことは、日本の旅行者の紀行文にも記録されている。例えば、2週間にもお及ぶ「シベリア鉄道」の旅は、日本人には耐えられないもので、3日目ごろから気が狂いそうになるとのことである。日本人の情緒や感情・感受性といったものは、もともとそのように出来ていないのである。

シベリア鉄道から見る風景といったものは、毎日、明けても暮れても、いつでもどこでも同じなのである。変化というのが無いのである。見えるのはただ果てしなく続く地平線だけなのである。それ以外に見えるもの、変わったもの、移って行くものといったものが、何も無い世界なのである。それが毎日、永遠のように続くのである。そして、そうした変わることのない単調さといったものに、日本人の精神は慣れていないし、そしてまた耐えられるようにも出来ていないのである。

日本人にとって地平線というのは19世紀に至るまで、見たことの世界であった。19世紀に北海道が日本領となって初めて、北海道で地平線を、無限に続くかのような地上の世界を、見ることになったのである。この北海道を除くと日本列島には「地平線」というのがない。

見えるのは水平線(海)か、自分を取り囲む山々だけなのである。この山々に囲まれた間にある、残された狭い平地で人間がひしめき合って生きてきたのである。どこにいても必ず山々が見える。そしてそれが、霧の中で現れては消える。のみならず、それが時間の経過とともに、様々な変化をくり返してゆく。


戻る。            続く。

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