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そのように見えるし、聞こえてもくる。それは、もともと自分がそのように望んだことなのだから、そのようにしか見えないし、見えても来ないし、またそのようにしか見ようとしないのである。 自分が望むもの、自分にとって都合が良いもの、必要なもの、求めるもの。そうしたことが無意識のうちに自分の感覚のなかに入ってきていて、それ以外のことは興味がなく、気づくこともなく、見えもせず、理解されることもないのである。 そうして、このような自分と自分たちにとって都合の良いことだけが、自分たちの常識となり、秩序となり、法律や正義となっているのである。そして感覚や情緒にもなっている。 自分の感覚や意識、考え方自体が、もともと始めからそのようにシツケられ方向づけられているのである。そして、これが現実というものであって、このような現実の条件の中でのみ、人間の感覚や意識が機能しているのである。また機能し得るのである。 |