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だから変わった言い方をすると、ガラパゴス化・鎖国がもたらされる。そうした自分勝手が、そのまま実行できる国でもあったのである。海で隔てられた島であるということ、さらに、世界のはずれの奥の、そしてそのまた向こう側にある、どうでもよい国であり続けたのである。 そうしたことが人間の往来と出入といったものを極端に少なくしてきたのである。とは言っても、日本は大国ではないが小国でもなく、そして海に隔てられ、まとまった列島の地理的・政治的システムといったものが、有事の際には強力に一致団結して凄まじい国力を発揮することがある。 こうした歴史的・地理的事情の必然的な傾向と、その行き着く先といったものは、列島の中での文化の固定であり、均質化であり、特殊(ガラパゴス)化である。 そして、そうした傾向の定型化である。「型」にはめて行くのである。しぐさや素振り、立居振舞等々、そして何よりも人間の頭の中が、何でもかんでも型にはめて考えるのを常としている。言い換えるとカテゴリー化している。形式化し、定形化し、共通化、規格化している。 実体と内容を無視して表面的な形式だけですべてが判断される。真似るということ。頭の中での分類・カテゴリー化が優先されていて、直感とか感覚といったものが無視されている。表面的な規格にさえ合っていればよいのである。中身はどうでもよいのである。 自分の頭の中だけで何もかも分かったつもりでいるのであって、それで十分なのであるが、その実、なにひとつ理解などしておらず、現実から遊離した妄想と迷信の世界を生きているのである。また、そうやって生きて行くことが出来る世界でもある。あるいは、そうでないと生きて行けないように出来ている。むしろそうした生き方が好まれもするし、また、それが望まれる正義や道徳ともなっている |