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歴史上、いつでも、どこからでも「北方遊牧民」が朝鮮半島を折檻したのである。だから、その一部になる以外になく、かといって、それを見習わず、序列の下に入ろうとしない日本は、野蛮人の国なのである。日本を朝鮮の下に置くことによって、自分自身を「意識」したのである。あるいは、意識することが出来たのである。 だから、日本は、どうしても自分たち朝鮮よりも下でなければならず、それ以外に、朝鮮人が自分たちを確かめる方法が無かったのである。儒教の教えは上下関係であって、自分より下の者を失った者は人間と見なされないのである。 だから、儒教思想に固まった韓国人は常に日本人を見下している。正確に言うと、見下されなければならない、と思い込んでいる。それは、何も無い自分が見下されることに対する、反動なのである。つまり、感情的なのである。変なプライドがあるから真実を受け入れることが出来ず、そしてまた、プライドが先に来るから、真実というのが理解されることもない。 それ以外に、自分を世界秩序の中に位置づけることが、不可能なのである。そしてまた、これが儒教の教えなのである。自分と他人の区別のない、人格とプライバシーの概念もない、なんやら、わけの解らない世界、これが東アジア儒教世界なのである。 自意識というが自分の中に存在せず、それを常に他人との上下の関係の中で見い出そうとする限り、自分で自分を見るということがないのである。 |