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意識されることのないままの自然な感情、意識以前に始めからあった感情とは、家族の間柄である。理屈でも言葉でもなく、暮らしのなかで自然に身に着けてきた感情である。感じ方、暮らし方、生き方といったものが、それである。 こうした自然な関係は、法律や契約関係のように、外から自分とは別のものとして入って来るのではなく、例えば歳時記や節句などのように習慣化した、習わしや作法といったものとして、道徳や躾(しつけ)となったものがそうなのである。 それはまた、自分の情緒とか感情、心の持ち方と一体となっている。だから、それが意識されるということがほとんどない。その意味で家族のなかでは人格が曖昧で個性というのが尊重されにくいのである。社会全体の、このような家族のような間柄、個というのが理没して、みんなの中に溶けて消えた状態。それぞれが、いつまでたっても自立することのない社会。 これは、戦前戦中の日本社会そのものである。そしてまた当時の、日本の指導者たちの頭のなかを反映したものでもある。人間同士の間で自立した境界線となる、人格や自我は有ってはならないものとされたのである。 日本の国民性として、まず挙げられるのは、こうした「統治される能力」のレベルの高さである。均質でムラが無く、どこへ行っても、だれに会っても、だれもが同じことを考えている。身振りや仕草、また顔の表情までがそうなのである。それはコトバや五感以前の、自分たちを取り囲む「空気」がそうなのである。コトバは不要である。コトバは飾りであって、実体はこの「空気」なのである。 |