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10、外の世界。



このような一体感。等質で均一な絆(キズナ)の一体性、同一感、連帯感といったもの。まったく何と言ったらよいのか、そうした思いやりと気づかいといったものは、まことに日本特有の、外国ではけっして見られないような、そうした際立つ特質といったものである。

例えば、察しの心情、空気を読む、以心伝心、あ・うんの呼吸といったものがそうである。まったく、日本のそうした格言といったものは外国人には理解不可能な世界なのである。

それは、コトバをまったく無視して身振りや、目の動き、しぐさだけで、コトバ以上のより高度で包括的なコミュニケーションを成立させているのである。それはまったく、日本人にしか体得も、理解も出来ない、日本人だけの世界なのである。

まったく、やりきれない。外からの人間が見ると、これほどの不公平と差別待遇はないと言える。自分たちだけの閉じて歪んだ「村の世界」を生きている。外の世界が見えない。見る必要もないし、見ようともしないし、そしてまた、見てはならない世界を生きている。 

同じ時間を、同じ場所で、同じように生きているにもかかわらず、それは日本人同士にしか通用しない、そしてまた、日本人同士の間でのみ、完璧に通用しているコミュニケーション方法なのである。共同体としての日本の集団のあり方なのである。外人とは、同じ日本社会に暮らしていても、外の世界の住人なのである。

それは、ひとめ見ただけでは、とてもわかりづらいもので、現実の出来事をざっとながめて見ているだけでは、見えて来ないものである。なぜなら、それは、無意識の世界で起こっていることだからである。


戻る。             続く。

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