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9、偽善。



このような気質や気性の情緒的特性をひとことで言うと、並外れた異常なまでの集団的協調性といったものである。他人の心の中に自分と同じものを見てしまう、または、見ようとする(プライバシーのカケラも無い)。

あるいはまた、自分が周りのみんなと同じで、同じことを考えていないと気が済まない。落ち着かず、キズナが切れたようで寂しく、孤独で耐えられない。そうした心の持ち方、気分、情緒といったものである。

集団の中で自分というのが、自分の個性や、考え方や、感じ方といったものまで、同化し、透過し、溶解して消えてゆく。均質化し、一体化し、失われて行く。しかしまた、そうした自分を見失ったところにこそ、自分本来の居場所と拠り所があるように思えて来るのである。まるで、それが自分たちの信仰でもあるかのように。

しかし、もしかすると、そうするしか無いというだけのことなのかも知れない。日本のような逃げ場のない空間の中での「村八分」は、あまりに過酷なのである。だから、群れて媚びて迎合することだけが異常に発達したのだろう。そしてまた、コネと口利きだけで、働かずして、誰もが生きて行ける社会が出来上がったのである。

日本の社会を動かしているのはコネと談合だけである。いわゆる「実力」というのは飾り、まやかし、迷信、偽善そのものである。社会のすべてが、「コネ」という偽善だけで成り立っている。このような迷信と妄想の夢の世界を私たちは生きている。


戻る。             続く。

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