index < 日誌 < u列島< 「生理」p15/ |
しかし、はたしてそうなのだろうか? それがすべてなのだろうか? もちろん、けっしてそうではない。むしろ、そうではなかったはずで、だからこそ、今現在、このような文化の「型」を示しているのである。 文化というのが、何かの型やパターンとして姿を現し定着しているということは、そうではなかった時代があったはずで、そうした、今ある文化とは異なる文化とのあつれきや対立、反発として、現在ある文化の型が定着して来たと考えられるからである。 そこにはまだ、型が定まる以前の、様々ないろんな型やパターンが混沌としていて、なんら定まることのない、捉(とら)えどころのない姿となって、変化をくり返していたはずで、そうした様々な変化に満ちた異質なもの同士のせめぎ合いと対立のなかから、周りの自然環境に最もかなった「型式」が残り、さらにまた、民族自身の内なる必然の要請と指向性から、それが求められるパターンといったものが残って行き、反復継続され、繰り返され、定着していったのである。 そして、それがまた、文化の型として表現され、それ特有の特徴、それらの底を流れる一貫した特質や傾向として、理解されてくるのである。そしてまたそれが、民族の必然的な自律性とでも言えるもので、そうなるしかなかった、あるいはそうする以外に方法がなく、それ以外にあり得なかったという、避けることのできない必然性なのである。 もちろん、それ以外の様々な方法や、やり方も当然あったはずで、実際、現実にそうした様々なことがなされたはずなのであるが、結局、最後まで残り、確固とした支配的な型となったのは、実のところ、今あるこの型だけなのである。こうした過程そのもの、そうした要因や方向性を定めて来たのが、民族の内的必然性といったものなのである。 |