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9、当然。



極寒のシベリアや、炎天下の砂漠のように、変化のない同じことが永続して続くということはないが、かといって、明朗で透き通るようなわかりやすさでもなく、気持ちのあり方、持ち方、気分といったものが多少とも残り、無意識のうちに持続するのである。

湿気というのは人間の体内に入ってくるのである。暑さや寒さは、肉体の表面を刺激するもので、内と外がハッキリと区別されている。しかし、湿気は違う。いつの間にか感情や情緒に混じって入り込んでいる。例えば、夏の蒸し暑さは感覚の暑さでなくて、心理的なやり切れなさ、なのである。

真冬の極寒、真夏の酷暑のなかでは、気持ちの切り替えどころではなく、それよりも直接、暑さ寒さの極限状態に対峙しているのである。そうした中では気持ちの切り替えも大した意味を持ちようがなく、また、容易に切り替えの出来る状態でもない。

これと同じで実際、人間の身体というのが、こうした気候の人間を包む空気の質の、気温や湿度のなかで生きて作用し機能しているのである。いつも空気が人間を包んでいて、その中で人間が生きている。

それは単に無機的な暑さというというよりも、生理的な暑さ寒さであり、それがくり返すリズムの、無意識のうちに蓄積される気分や気持ちのあり方、生理的・心理的な情緒の、現実の背景や生地となっているものなのである。これが、人間が生きている現実の世界なのである。そしてその現実の下地となっているのである。

それは普段、意識されることのない無意識の世界でもあって、常に人間に作用し影響し続ける現実の世界、意識されざる現実の条件や制約、傾向なのである。それは、いわば、だれも気づくことのない、地球という「フラスコの中」の世界なのである。

設定され尽くされた巨大な実験場の中の世界なのである。ちょうど毎日、太陽が東から昇り、地上の上で人間が暮らしているのと同じである。あまりに当り前すぎて、だれも気にするということがないのである。


戻る。            続く。

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