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プライバシーが無い。だから、自分と他人の区別やあいまいで、人権も、人格も無い。だからまた、社会全体に言い知れぬ思い込みや執着、偏見が支配していて、それが、それとなく異質を排除してゆく。 村八分にして、無視して避ける。就学も就職も出来なくしておいて、グルになって、よってたかって陰に陽に態度や言葉でそれとわかるように示唆する。直接に言わないけれども、それとわかるように、追いつめてゆく。そうやって集団が、群れて、媚びて、迎合している。仲間化する。これを「和の精神」と言っている。それがホントかどうかは知らないけれども、少なくとも僕自身は、そう言って排除され続けてきたのでだる。 このような「なかよしクラブ」。自分自身の考えも、信条も理解もなく、ただひたすら、まわりに合わせるというだけのコネと談合だけで、世の中が営まれている。ただそれだけでご飯が食べて行ける。または、それだけでご飯を食べて行かなければならない。 コネのない、群れる仲間のいない人間、又は、群れるのを拒否する人間は生きて行けない。学校ではイジメられ、就職からは排除され、何とか就職できてもカゲグチと後ろ指をさされて、追い詰められ、職を辞めて行くように仕向けられる。 これはもの言わぬ暗黙の了解であって、ケイレツというヒエラルキーでもって、社会の上下関係が出来上がっている。お上(かみ)とか、目上の者などとも言っている。目に見えない権力や権威の上下関係があって、なにがなんでも、それに従わなければならない、ということである。世の中には序列と上下の関係があって、それに従わなければならないということである。 このような、自己放棄と他人依存を基礎にして社会が営まれ、成り立っているのである。自分で自分を意識するといったことがないのである。自分を意識するということは、日本社会においてはあってはならないことなのである。日本社会の営みの前提を破壊することになるのである。 これは幻想と迷信の世界なのであって、そしてまた、これが日本社会の本質でもあって、けっして信用してはならないのである。見るもの、聞くもの、触れるもの、すべてがマヤカシの作り物、ヤラセ、ニセモノ、偽(いつわり)りの世界なのである。中身(なかみ)と実体を喪失したオバケの世界、見えるカタチだけの幻想と迷信の世界なのである。 |
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