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3、印象。



カテゴリー(抽象的分類)による論理の人為的な分類は、あくまでも観念的な世界であって、現実の実体というのは、それとはまったく別の世界なのである。それは人間のかかわり方、その見かた、考え方、求めるもの、のぞむものによって、様々に、常に変化しているのである。かかわり方が異なれば、カテゴリーそのものも異なって来る。

現実の世界というのは、人間のかかわり方によって常に移り変わり、うつろいでいる。カテゴリーというのは、人間の観念の世界であって現実とは別の世界なのである。だから現実との間に異和感が感じられる。すれ違い、ズレ、きしみ、ゆがみが生じてくる。現実と自分自身の観念の世界とが合わなくなっているのである。

だから、わけの分からないシルエットや幻、幻覚を見る。あるいは、「見た」と思えてくる。これは、人間の観念の世界の中で、現実に見えないものを見ているのである。だからそれが、歪みや軋(きし)み、あるいはシルエットにしか見えないのである。

知らないもの、現実にないもの、分からないものを、それが何かと特定することなど出来ないのである。観念の思い込みだけの世界では、細部は見えて来ず、何かを印象するような、象徴としてしか見えて来ないのである。しかし、それでもたしかに「見ている」のである。

現実には見えないけれども、それが暗示し、象徴し、いざなうものが印象されていて、確かに感じ取っている。現実にないものを見ている。感覚がそれを記憶しているのである。言葉ではうまく言いあらわせないけれども、感覚自体がそれを覚えていて、知っていて、思い出しているのである。だからまた、言葉にならない印象としてしか思いだせないのである。


戻る。             続く。

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