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それは、あるはずのものであって、しかし、現実には無いものなのである。だから、強い思い込みもあって、ものカゲや暗がりの中で何かを見たと思えてくるのである。 例えば、カゲロウ(陽炎)や蜃気楼、屈折や反射する光の影、あるいは、まばゆい光の中を見ている。あるいは、吹雪や風の歪みや軋(きし)み、そしてその奥から聞こえて来る風のつぶやき。そうした、草木が集まって揺れて歪む情景の中に何かを見ている。あるいはまた、薄ぼんやりしていて影のない月夜の世界もそうである。 そうした薄れゆく記憶の奥で何かを感じ、そして見ている。見ているのは、同じものを見ているのに、何か別の世界から見ているのである。そうして自分自身の無意識の、忘却されら記憶の世界の中で、何かを「見た」と思えて来るのである。それとも、忘れていた何かの記憶のカケラを思い出しているのである。 それはある意味で祖先の記憶なのである。現実とのズレが異和感となって、感覚の未知の領域を映し出しているのである。感覚のリズムや生理作用の不具合や混乱した神経の、言い知れぬノイズとして聞こえてくるのである。そしてそれが、何かを「見た」と思えてくるのである。 |
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