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3、災いのタネ。



そしてそれが、いったい何なのか自分でもわからない、正体不明の、得体の知れない、つかみどころのないものなのである。そしてまた、そうしたところに、もどかしさ、わずらわしさを感じて、そして恐れ、おののき、おびえているのである。

それは呪いであり、厄介のタネであり、災いのもとになっているのである。にもかかわらず、それは意識されなければならない。それが、精神の務めというものだ。

得体の知れないもの、見知らぬもの、わけのわからないもの、そうしたいままで感じたことも、見たこともないようなものについて、精神自体が、いったいどう感じたらよいのか分からないのである。そうした感覚や感情といったものを、どのように表現したらよいのか分からない、いままで感じたことも、表現したことも無いようなものだからである。

だからこうした心証、心の動きとでもいったものが、何かの脅迫観念として、心の中で表現されたのではないだろうか。まるで、危険直前の予告信号のように。なにかの異変を感じて、とりあえず、それを「恐れ」として反映したのではないだろうか。

ただし、ここでいうところの「恐れ」や「危険」といったものは、あくまでも精神の中だけの、観念的なものであるということである。自分がいま生きている現実の、直接の恐れでも危険でもないということである。自分の精神の中にのみある恐れや脅威だということである。


戻る。             続く。

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