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3、精神のカタチ。



夢の中で見た、自己と他者のアイマイな区別のない世界、ケジメのない世界というのは、現実の世界でも見ることが出来る。自分というのが、社会の共有意識や共通感情を反映していて、そしてそれが時代という現実によって拘束されているからである。制約され、条件づけられて、方向づけられている。何か言い知れぬ必然的な現実の条件によって定められているのである。

こうした関係性の中においてのみ、人間は自分というのを明確に自覚できるし、そしてそれは同時に、その社会が持つ特殊な傾向、個性といったものである。つまり、無意識の情感、心の動きやその移り変わりの特有のあり方、「型式」とでもいったものなのである。

暮らしや生き方、そして歴史のうちに共通して感じられ、見て取ることのできる、その社会特有の共通するパターンといったものである。自律した固有の傾向といったものである。様々に変化し移ってゆく歴史と社会のなかで、それでも、一貫して見てとることのできる、共通の特徴、印象といったものである。その社会特有の秩序や規則性とでもいったものである。

言いかえると、その社会を特徴づけ規制し続けている、特有の気性とか気質、そしてそれらを決定づけている内的な必然性といったものである。

それが、この社会の個性とか情緒の特性といったもので、その社会を生きるすべての人間を支配する絶対的な強制力、枠、囲い、限界線、そして、その社会と他の社会を区別し識別する境界線なのである。そして、それがまた、民族の精神のすがたであり、その輪郭、シルエット、カタチ(形)いったものなのである。


戻る。             続く。

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