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4、領域。



カタチとは、自己と他者を区別する境界のことであり、その境界線の独自のカタチが、他者とのかかわり方を決定しているのである。この場合の自己とは、自分が属している社会のことであり、他者とはそれ以外の社会のことである。だから、この精神のカタチの違いが、他者とのかかわり方の違いとして現れているのである。

それではしかし、他者としての他の社会が存在しない場合いはどうだろう?  これが、いわゆる「夢」の世界なのである。自己と他者とのハッキリした区別が無いのである。曖昧で、ぼやけて、自己と他者が互いに出たり入ったりしていて、入れ替わったりもしている。自己認識そのものがきわめてあいまいなのである。自己と他者を区別できないでいるのである。混同し、入り混じっていたりするのである。

自己意識というか、自己の内面世界というか、プライバシーというのが、きわめてあいまいで、ハッキリせず、ぼやけたままなのである。自分と他人の間に、精神の境界線が存在しないのである。自己の精神の領域がわからないままなのである。だからまた、人格も人権も理解されない。理解されようがない。

こうした世界、閉じたシステムの内向きの世界にあっては、自分で自分を意識したり、のぞき込むといったことがなく、むしろ、自己意識は限りなく希薄で不用なもの、そしてまた、あってはならないものとされる。自己意識そのものが、このような閉じたシステムとは相容れないからである。これがまた、東アジア儒教世界の特徴ではないだろうか。


戻る。             続く。

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