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だから、精神の内面というのは、外から権威としてやって来て、それをそのまま取り込んで、それをそのまま自分のものとして思い込んでいる。自己の、観念世界の内容といったものが、そっくりそのまま、自分の外からコピーされて出来上がってしまうのである。 そしてまた、こうした勘違いが、自分自身のゆるぎない信条や確信、信念と思えてくるし、思い込んでもいる。そしてまたそれ以上に、そう思い込まなければならず、それ自体、けっして疑ってはならないのである。このような「思い込みの確信」こそが、この社会での自分自身の確固とした地位を保障してくれるのである。そうしたことが社会の仕組みというもので、前提ともなってるのである。 だからまた、論理や考え方、感じ方といった人間の感覚といったもの、生き方や生活といったものが特殊化、個性化してくるし、かたよってもくる。客観性を無視した、根拠のない思いつきや気まぐれ、偏執的な思い込みが社会全体を支配することにもなる。なぜなら、客観的に世界を見ることができないからである。 自分以外の外の世界を知らないのだから、外から自分を見ることができないのである。だからまた、客観性にとぼしく、自分の主観だけがはてしなく広がってゆくのである。自分と違う他者というのが見えなくなって、客観的に世界を見ることができなくなって、自分の主観だけがすべてのように思えてくるのである。 |