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それは、そこで生きる本人にとってみれば、預かり知らぬ偶然の連続のようでもあるし、そして、それを外からながめる客観的な第三者から見ると、必然としか言いようのないものでもある。では、いったい何が本人をしてつき動かし、導き、そうした行動へと駆り立てたのだろうか? それは、本人にとって意識されることのない、そして本人をして、絶対的に支配し、それを包んで一体化している情緒とか、心の動きといったものである。それは特殊化し、制約され、方向づけられた民族の情緒的特性、肉体の生理的な感受性とでもいったものである。それは、肉体の感覚と生理のリズムであり、そしてそれが統合されたアンサンブルとなって表出されたものである。それは、だれにも止められないのである。 それは、自然条件や気候、そして歴史と文化に深く根ざしていて、それらと一体となった感覚の特性、感受性やその鼓動のリズムである。自己というのが、それら外の自然と一体化しているのである。気質や気性といったものであり、またそれが表現される現実の条件がそうさせているのである。 これが情緒であり、そしてまた、心の動きというものが、あらかじめ定められていて、その枠の型式の中で揺れ動いて行くのである。こうした心の動き、情緒といったものを支配し決定しているのが、まさに、文化的・自然的条件なのである。あるいは同じことだが、歴史的・現実的環境なのである。 |
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