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3、偏見。



1個はだれが見ても1個で、10個にはならない。もしもそうなるとしたら、それは論理の矛盾であり、支離滅裂であり、思考そのものが成り立たなくなってしまう。だからそうした、白が黒だとか、1個が10個というのはあり得ないし、言い過ぎであり、誇大に拡張された偏見の妄想のように思えてもくる。論理の矛盾であり、神経障害、人間性が歪められ破壊された、偽りの世界でのみ見られるもののように思えてくる。

しかし、社会のシステムそのものが正にそれであって、それぞれのすべての人間に、理由と何らかの生きている意味というものを与えているのである。それが社会にとっての、システムの存在意義なのである。だからまた、白でも黒に見えなければならないことが、あるのである。

それは、人間の暮らしや生き方に何らかの意味を与えているのである。そして感情や感覚、さらに顔ツキや、その表情、しぐさ、身体の立居振舞の動きに至るまで、それに支配され規制されてくる。そうあるべきものとして標準化され、共通化してくるのである。

つまり、人間の生き方や考え方、感情や感じ方といったものが、社会のこのようなもの言わぬ規制によって条件付けられ、方向づけられているのである。そして、まさにそうしたことが、先の方で取り上げた思い込みと偏見、偽善の世界を作り上げているのである。


戻る。              続く。

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