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しかし、それにしてもやはり、そうした民族の、あるいは人間集団の特徴としての感覚や感情、気質や気性といったもの、あるいは考え方のパターンや、ゆれ動き変化しつつ移ろいゆく、心の動きといったもの、心のあり方といったものも、やはりそれ固有の環境、すなわち、現実の地上の世界の上で生じてきて、カタチ作られて来たものなのであって、そうした現実の文化と自然条件の上でのみ成り立ち得た特殊な現象、特徴的で固有な現実のすがたといったものなのである。 そうしてやはり、それらすべての現象の根源にあるものとして、自然条件とそのうえで繰り広げられる文化の現象にたどりつかざるを得ないのである。民族ないし人間というのがその下で生き、そしてその生き方や暮らし、考え方といったものが姿カタチとなって、現実の地平の上で姿を現しはじめたとき、それが儒教や家父長制として現れ表現されたのである。 そしてその根底にあるのが、やはり風土であると思えて来てならないのである。そうした考え方や感情、そして暮らしの根源にあるものとして風土にたどり着かざるを得ないのである。心と身体の動きのカタチといったものを決定づけている、もっとも根源的な出発点となっているのが、その民族が生まれ形成されて来た現実の世界、すなわち「風土」であると思えて来てならないのである。風土とは、人間がそこに生きる歴史と自然条件、そして文化のことなのである。 |
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